ひ弱だった僕の子ども時代のエピソード

 

 またまた大地震が起きてしまいました。熊本は何度も訪れたことがあり、知り合いの同業である児童書専門店もあるので、大丈夫だろうか、何か困っているのではないかと心配をしていました。一週間ほどしてからメールをしてみました。すると翌日には返事があり、皆さん体の方は無事で、「みんな必死でがんばっています」ということでした。僕が岐阜で経験した地震は、阪神淡路大地震の時の震度4が最大で、そのときですら大慌てだったのに、震度7とか6とか、想像を絶します。一刻も早い復興を祈るばかりです。

 さて、今回は地震とは全く違う話題です。

 5月5日はこどもの日。還暦をとうに過ぎた僕にも子どものころがありました。生まれも育ちも岐阜ですが、生まれた場所は今絵本屋を営んでいるこの場所です。祖父母が戦後移り住んだ、格子戸を開けると土間が奥まで続くウナギの寝床のような民家でした。この家で、僕はじいちゃん、ばあちゃんに大事に育てられたわけですが、大事にされ過ぎたせいか、虚弱体質で、幼稚園もしょっちゅうお休みをしていたようです。

 小学校に上がるとき、このままではこの子はダメになってしまうと考えた母親は、近くの金華小学校ではなく、岐阜大学教育学部附属小学校に通わせようとくじを引きに行ったら見事当たって、バスを使って30分以上かかるこの小学校に通うことになりました。ひとりでバスに乗るなんてもちろん初めてのことで、帰りに降りるべきバス停を乗り越し、大泣きして家まで歩いて帰った、なんてこともありました。

 小学校に上がってもひ弱な体質はあまり変わらず、一年生の途中に、母の実家に移り住むことになりました。といっても歩いて15分ほどの距離です。でも、この環境の違いが僕にはいい影響があったことは間違いありません。この家には、僕より4つ年上と同年の従兄弟がいました。彼らは当時普通にいた悪ガキたちで、近くの長良川やお寺の境内などで遊びまくっていたわけです。彼らがやるかんしゃく玉が怖くて、いじめられもしましたが、いっしょに近くの駄菓子屋に出入りしたり、お寺の境内で野球をしたり、釘刺しをしたり、メンコをしたり、紙芝居屋に群がったりして、ひ弱ながらも悪ガキ仲間に入っていきました。川で魚をとったり、バッタを追いかけたりし始めたのもこのころ。今、僕は「子どものころに外遊びをすることがとても大切ですよ」みたいなことをしゃべってますが、僕自身の自然体験はちょっと遅かったことになります。

 毎日のように外遊びをするようになった僕は、体も丈夫になっていったようです。一年生のころはまだまだよく学校を休んでいましたが、二年生からは休みも少なくなり、三年生からは皆勤だったと思います。また、二年生までは水が怖くて、プールの授業で全く泳げなかったのが、三年生で急に泳げるようになり、水泳帽の赤線が一気に増えていきました。

 そんなころ、母は務めていたパン屋を任されることになり、家族4人で4畳ぐらいの店内裏のスペースで生活をするようになりました。さすがに狭いので、店舗スペースにイスを並べてベッドにして、そこに寝るのが楽しみでした。ベッド初体験です。そのころ生まれた下の妹はパン箱がベビーベッドの代わりになっていて、今思えば笑い話です。やがて2DKのアパートに引っ越すことになるのですが、当時のそんな貧乏体験も僕の成長には何か影響を与えているような気もします。

おおきな木 杉山三四郎 

おたより、ご質問など